・ “「安心」がリスクを呼ぶ”主旨の宋文洲氏のブログがありました。共感
する面がありましたので、取り上げてみました。
・ 「安心」と同時に使われる言葉に「安全」があります。昨年5月に「安全と
安心」をテーマにこのブログでも取り上げました。一緒くたにされている
あるいはセットのように云われていても、そこに異論はないのですが、あ
えて区分してその違いを記しました。
・ すなわち、再掲すると、
「安全」……具体的な基準をクリアしていること。だから、監視が大事な
のです。
「安心」……信頼性のある基準をクリアして、なお感情的、気持のうえで
納得出来る状況になること。
・ 従って、どちらかと云えば「安全」 → 「安心」の順序が、一般的です。
これらを米国産牛肉輸入問題を例に示しました。
・ そうすると、①根拠は何なのか
②具体的にどうすればよいのか
③それは何故なのか
の視点を持たないと、根もとの原因と対策等を捉えられません。
・ 理屈を文書にしてみるとこうなりますが、そう云われても日常生活において、
ほとんどそんなことは考えません。
・ 例えば、「ブランド」「しにせ」そのものが、安全を確保、安心を与えている
と云えます。そこに寄りかかってしまいます。
ゆえに、安心を裏切られると、二度とそこで買い物、使用をしない、時には
ニュースになるのです。
・ そして、「安全」と「安心」が一体となると「信頼関係」が生まれ、確固たるも
のになっていくのです。
・ そこには、しっかりとしたアカウンタビリティ(説明責任)が必須と云われて
います。事業主、売り手として買い手に分かりやすく事実、リスク等を隠さず
伝える責任があるのです。
・ 一方、買い手、お客として「変だな!」と感じることの大切さを強く云っていま
した。異常な数値、契約等の儲け話はないと思って対処しなければならな
いのです。
・ とくに、“妙な安心感”こそ危険(リスク)だと、次の2つの事例を示していま
した。
1. 横断歩道の「青信号」
・ 中国の交通マナーは相当悪いそうです。そのため、信号が「青」でも
右左の車を確認して、自分で判断していかないと危険であると。
・ 日本では、不注意、乱暴な車はめったにいないと思います。だから、青
信号で横断することにあまり注意を払いません。
・ これは、車が停止して安全だと、ついつい安心している勘違いの人が多
いのです。中国との比較はできませんが、双方とも危険なのです。
・ やっぱり、危ない目に遭わないことへの“確認”の大切さを“クセ”になる
まで、自ら叩き込むしかないのです。白黒よりねずみ色を好む日本人に
は大変なことなのですが。
2. AIJの年金運用
・ 最近の安全安心の話題は、これでしょう。「ダマしたつもりは、一切あり
ません。」と国会喚問で云っています。
ダマすというより、事実を隠さないとやっていけないからだと思います。
それがダマした結果になるのですが、事後だと何とでも云えるのです。
・ 情報不足、人の弱みなど誰もが持っている点を最初から分かって突い
てくるのは、理屈では理解しているはずです。それでも、案外確認、注意
をすることがいつのまにか、曖昧で通ってしまっていることがあるので
す。
・ 関心はダマした人よりダマされた中小企業が何故預け、云われたことを
信用したかにあると云っています。そうだと思います。
・ 何らかの形式、権威を背景にして安全であると云い、そして安心を取り
付けたのでしょう。
皆んながやっているから、技術力が高いから、先進国の大企業だからの
安心をもとに、詐欺犯と云ってもよい人物達が狙っているので注意をと。
・ これらに対し極端に云うと、“自分の身は自分で守る”に尽きるのでしょう。
ただ、現実は言い切るほど簡単ではないのですが。
・ 自分達は行政、会社にオンブにダッコの時代を過ごしてきました。しかし、今は
自分で有用な情報を探し、行動して、判断していくことの大切さを、痛感
しています。
まさに、それを利用して後悔しないように行動することに努めています。
・ 人のマネをする、追随することは日常よくあることです。それを否定することは
できませんが、先述のように「何かおかしいぞ!」と少しでも感じた時は、一
歩下がっての客観的見方も必要なのです。
・ ウソはウソを重ねるものです。定例報告等での1つの追求や確認で数値の
根拠や応答がおかしい、前回と違うと思ったら、そこに対し具体的な理解と納
得いくまでチェックすることです。
・ だけども、多くは事故等が起きないで済んでいるのです。しかし、どこかで“ま
あ、そんなものか”は、会社での責任放棄になってしまいますよ。