国際マスコミュニケーション

 「国際コミュニケーション」の講座を聴講しました。国境を超える
  マスコミ情報(特に、TV映像)最近20年位に発展してきたもの
  です。
 「意味」(ある程度理解)の受け渡し、やり取りであるコミュニケーシ
  ョン(コミュニケ)は言語情報として従前より世界的に有名な新聞、
  雑誌があったが、限られたもの(地域限定)であったと云えます。
 ところが、放送(電波)が一挙に発達して、1980年代衛星放送時
  代
になると、大量にしかも一斉に「言葉の壁」を薄くしてしまう映像
  (非言語情報)として拡がりました。
 たしかに、TVを観ていると国際的なニュース等や諸情報は、日常的に
  簡単に選択できるようになってきています。
 マスコミュニケとしてメディアコンテンツが国境を超えて共通の話題を
  提供し、課題までを示してくれています。(月面着陸、アラブの春など)
 ただ、このような事態は何となく分かっているが、これら情報がグロー
  バルにどのような影響を与えているのか、新たな議論を提供している
  かなどあまり考えたことはありません。
 漠然と情報の拡がりを感覚的に受け止めているだけで、このグローバ
  ル化の進展や特徴を捉えて整理したり、まとめて全体像を考えたりし
  たこともありませんでした。
 だから、自分の中で新しい分野と云えます。その意味で、国際コミュニ
  ケをどう観ていくのかなど興味を引く講座でした。
 その中で、ほんの一部ではあるが、基本的な捉え方、ポイントとなる
  事項についてひろってみました。
(1)現代国際コミュニケの特徴
  何といっても、人工衛星技術の発達のおかげで「マス」のグローバル
   なコミュニケが可能になりました。その特徴は、
  ◆広域性 ・広域のコミュニケはコトバの壁が厚かったが、映像が大
        量に入ってくると言語を伴わなくても、それを観ることによっ
        てマスのやり取りが複数国にまたがることが可能になりま
        した。
  ◆同時性 ・国境を越えて伝える側の情報発信が、受け手同時
        伝わります。(同時体験=ライブ
        例えば、“さっきのニュース、見た!”→ 話せる話題が国
        境を超えていきます。
  ◆共時性 ・国境を越えた受け手の間でも、同時体験の共通の経験が
        連帯感≒仲間となります。
        JFK暗殺(1963年)がアメリカ人としての連帯感をもたらし
        たと云われています。(全米ネットワークの完成)
  こうした特徴によって、国境を越えるマスコミュニケは事件などを引き起
   こす引き金になっているのです。
  まさに、衛星放送が始まって直後の天安門事件と、この影響を受けた
   と思われるベルリンの壁崩壊におけるそれが歴史的なキイワード
   なったのです。
  このマス体験は「スピルオーバー」と云われて、放送者(含衛星放送)
   が意図しない国、エリアに電波が伝わるという点が重要なのです。
  確かに、BBCやCNNなどの情報は日本のBS放送で十分伝わっている
   が、注意点も知っておくことも必要に感じます。
   提携している日本の放送側が選別して日本語を伴って伝えており、
    映像だけで大衆が全て理解できることにはならない面を忘れてはな
    りません。
   放送側の意図する方向に映像を流すことがあること。例えば、イラ
    クのフセイン体制崩壊により市中の銅像が倒される映像があったが、
    決して市民の大勢が参加したわけではないのに、そのような感じを
    持たせるアングルでした。
  政治、経済、社会の動きは間違いなくグローバル化しています。しかし、
   その映像を見て、個人がそれぞれの価値観で判断したり、理解する
   までに至っていないことも知っておく必要があります。
(2)国境を越えるマスコミュニケを知るうえでのポイント
 ◆マスコミュニケと国民的帰属意識
   日本人として、これまでは国内の情報が伝わり、それを共有すること
    で文化も形成されていく我々の意識がありました。
    情報の共有⇒価値観の共有⇒帰属意識
   マスコミュニケの国際的拡がりがあっても、国家が最大の帰属先
    ようです。ここでの共通の価値、経験が外との差異、競争意識
    ます。
   とくに、国境を越えたマスコミのない時代は、国内のマスコミだけか
    ら全ての情報を得ていました。どの国も国内のマスコミを利用して、
    国民全体をまとめていたととも云えます。(国民が帰属意識の最大
    単位
 ◆TVの伝達
   国境を越えるTV放送は、一国の「文化」を他国に伝えています。(言葉
    はTVが伝える情報の一部)
   すなわち、TVの視覚(動画)と聴覚が与える情報量は膨大なもので
          あり、場合によってはインパクトが強烈になります。(政府が国民をダ
          マしたことが分かると、帰属意識が成り立たなくなります。)
 ◆ステレオタイプ
   他国の情報が大量に流れているにもかかわらず、何かを認識するに際
    し、単純化したり、一般化したサインをもって区分することがあります。
    この傾向をステレオタイプといって、実態とは違った認識となります。
   ということは、日本人の文化の中には、そこに含まれる「外国(人)」
    対するステレオタイプがあります。日本のマスメディアが提供する情
    報もその国らしい面白い話やニュースを選んでいるのです。
   例えば、ドラマでパリの場面が出てくると、そこにはフランス料理、ファ
    ッション、シャンゼリゼ通りを中心としたものです。それがメディアにお
    いて再生産され、定着しているのです。
   実態を知る上では、ダイレクトな外国の情報を入手して、ヤラセでは
    ないところを知る必要もあるのです。
 情報の秩序
   TVなどのコンテンツ能力が高くないと、メディアの強い国によって自国
    の「情報主権」が侵されると云います。
   だから、自国の政治的、文化的な特徴を守る必要のある国は、排他的
    な権利を主張することが多いのです。(北朝鮮など)
   一方、西側3大通信社(ロイター、AP、AFP)は、他国のTV局などに
    国外ニュースの全体の9割を提供していると云われています。
   そのことは、文化的に他国を支配するかのごとく、影響下に置いてい
    るとも考えられます。途上国とその消費者に従属的な立場を強いるよ
    うなことは問題なのです。
   例えば、先進国同士であってもカナダと米国をみると、米国のケーブ
    ルTVがカナダに多く入ってきており、カナダへの集団的帰属意識が揺
    らいでいると云われています。
   カナダは義務教育の中のカリュキュラムにメディアリテラシー教育
    取り入れ、米国視点のへの疑問を常に問いかけています。
 このように、益々国境を越えていくマスコミュニケーションは、生活の
  利便性などからグローバル化する世の中にあって、なくてはならないも
  のになっています。
 このことによって、我々の評価軸が増えます。同時に、マスコミの質
  問われることでもあるのです。
 そして、行政、企業などにおいては“隠せない”がキイワードになっている
  気がします。それを拡げると、国境を越える自分達に不利な情報遮断
  限界を云っているような気もするのです。