伝統演劇「狂言」

 人間国宝“野村万作”狂言師の講演がありました。私は、狂言を見聞きしたことは

  ありません。
 ただ、子息“野村萬斎”氏が他のジャンル(映画の“のぼうの城”主演、NHKの

  狂言的表現による子供番組へのレギュラー出演など多種多様)への挑戦をみて、

  「狂言」とはどんなものだろうと興味がわき、聴講しました。
 子息の語り口の明瞭さと声量の確かさ、加えて姿勢、態度はいつもながら感心し

  ており、奥の深さに納得していました。
 講演要旨は、狂言が歴史的伝統芸能の中で低く扱われてきたこと。しかし、

  戦後狂言師達の奮闘で、ようやくその芸術的価値が認められるようになりまし

  た。
 魅力も強く訴えてきたと云っています。その価値を継承、普及していく未来を

  考えると、不安な面も多くあるということでした。
(1)能 楽
  歴史上、能と狂言は同じ舞台で交互に上演されてきました。現在はこの2つを

   合わせて「能楽」と呼ばれています。
  歌舞伎が今では難しい観劇となったが、庶民が育てた経緯にあるため史実、

   物語や世話物を題材にいろんな仕草、様式(くまどり、見得、あでやかな

   衣装など)が案外風通しがあって、なんとなく分かったような気になります。
  一方、能楽は舞台仕立てといい、馴染みがない云ってよいくらいです。
 ◆能
   荘重で悲壮な内容が多く、能面をつけての謡と舞を中心とするどちらかと

    云えば、幻想的な劇です。「幽玄」と表されています。
   織田信長が“人生50年……”と謡い舞ったのも演目の1つとして有名で

    す。上級武士階級の“たしなみ”のようなところがありました。従って、

    こちらが中心にあったのです。
 ◆狂言
   庶民の日常的な生活、出来事を写実的、喜劇的セリフと仕中心の劇

    です。
   多くは軽みのある笑いの対話劇であり、登場人物は2〜3人しか出てきま

    せんが、その職業などは多彩です。和やかな「笑い」を基調としており、

    そこが能と一線を画しています。
   しかし、能と同じ舞台では谷町のような庶民のバックアップが育たな

    かったのでしょうか。
(2)狂言の一例
  主役に「太郎冠者」(たろうかじゃ)と呼ばれる召使が出てくる作品が

   一番多くあります。(どこかで聞いた名前ですよね)
  その1つの「木六駄」(きろくだ)を例に、あら筋をみてみます。都の

   おじさんに歳暮を届けよと命じられた太郎冠者は、木を6駄(牛1頭が

   運ぶくらい)、炭を6駄、酒樽を自分で持ち手紙を携えて雪中の峠越え

   をします。
  途中の茶屋で寒さのため結局、茶屋の主人と一緒に届ける酒を飲み酔っ

   払い、木駄を売ってしまいます。ところが、手紙をおじさんが読み不足

   分を追求すると、太郎は名前を木六駄と改めたので“木六駄と炭六駄”

   を持参したのだと云い訳をします。
  しかし、追求されて酒の件を告白し、叱られて終わります。これをパン

   トマイム的な仕草で想像を呼び起こし、洒落て笑いを誘うのです。そこ

   に狂言の魅力があると云っています。
(3)地位向上と普及
 ◆地位向上
   狂言の道を行く人々の気持の中に、能に対して低くみられてい憤り

    があったそうです。
   武士は「笑い」を良しとしない価値観があって、能の添え物扱いでし

    た。明治以降狂言師達が充実した舞台をみせる努力の甲斐あって、

    戦後ブーム的なことも起こってやっと価値が上がってきました。

    (万作氏の父も人間国宝に認定されています)
   古い話ですが、なんといっても1977年ネスカフェのCMに万作氏が

    出演したことにより、狂言と云う言葉の認知度は一挙に上がり、

    周囲も喜んだといっています。
 ◆普及
   ただ、狂言の中の「笑い」の価値が、一般的に認められたとは云い

    難いところもあります。笑ってリラックスするなら、とても「吉本
    興業」に敵うわけがありません。
   狂言はおかしさの中に、健康でおおらかな人間賛歌幸福感を感じ

    つつ笑うのが理想的と云っています。それを失っては伝統芸能とし

    ての自覚の必要性がなくなります。
   難しいのは、能や歌舞伎が筋、音楽、舞踊など多面的角度からの

    鑑賞が可能であり、あえて筋を細かく知らなくても感性が働きます。
   しかし、狂言は言葉が生命線だから、時代と共に分からなくなる面

    があります。だからといって、受けようとするばかり、質を落とし
    てはいけないとも云っています。(行儀のよい演技
(4)芸の継承
 ◆創造性
   型にはめ込まれた堅苦しさに反発する時期があるということは、継
    承者が味わう通過道のようです。
   ところが、伝統芸能とはいえ時代と共に変化があり、チャレンジ
    あります。先輩達の舞台をみると1人ひとりの芸に違いがあって、
    特色が出てくるそうです。
   自分なりにこうするああすることによって、生きものとしての芸の豊
    かさになると云っています。(無形文化財なのです)
 ◆次世代
   一門の弟子は10数名、能楽堂養成部門に2名いますが、20歳を過ぎて

    からの入門です。
   「あいうえお」の発音からの日本語の美しさが、まず基本です。そこ

    から徹底的に鍛え直さなくてはなりません。それを、昔と違い対一

    で教えていかねばなりません。
   多くの職人によって成り立っているのもさることながら、その職人を

    受け継ぐ次世代の心細さが宿命的問題と云っています。
 以上、講演の趣旨を中心に記してきたが、何といっても歌舞伎や能に比べる

  と狂言はあまりにも知らなすぎます。狂言と云われて何か頭に浮かぶ言葉、

  声、映像があるでしょうか。
 そうなると、歌舞伎俳優が他のジャンルで確固たる演技を示し名を成すよう

  に、伝統を継承しつつ野村萬斎氏のような人をそれなりに外に出すことによ

  り、固定的ファンを拡げていく方法も1つと思います。
 一方、芸術、文化に触れ、その底辺を担うのはこれからも女性です。もっと

  もっとメディアを活用しての接点を多く持つことが大切かとも感じました。