身近な日本語ストーリー

 日本語の使い方、文章、ことわざ関連の本は常に出版されていて、
  一定の売れ筋を確保しているようです。敬語については、ビジネス向け
  の雑誌、コラム等でよく取上げられています。
 自分の文章が誤りを含め、かなりいい加減なことは承知しているだけに、
  “やっぱり”“なるほど”と思う本、雑誌に目が向いてしまいます。
 ショートショート本に「日本語で遊ぼう」があり、風刺文学として面白
  く読みました。そこに、“日本語の乱れ”を作家らしくネタにしながら、
  日本語の誤用を指摘しています。
 昨今のメディア、とくにTVについては影響力が大きく、そこに対しては
  かなり風刺のきいた内容になっていました。
 ただ、言葉も時代の流れを受けて移り変わっていくものだけに、許せる
  範囲については寛容なところも十分ありました。“遊ぼう”ですから、そ
  うしかめっ面をする必要はないのでしょう。
 前置きはこのへんにして、沢山あるショートショートから、テーマであ
  “誤用”の興味あるところを4つ拾ってみました。
(1)間違って使っていそうな言葉
 ■情けは人のためならず‥‥よく取り上げられている諺の誤解です。
    街頭調査では、半分位の人が「他人に情をかけるのは、その人のた
    めにならない」と間違っています。
    正は「他人に情けをかけると、結局自分のためになる」です。
 ■やおら‥‥誤「急いで」。正「慌てずに」
 ■気のおけない間柄‥‥誤「相手に対して、気配りや遠慮をしなくてはな
    らない」。正「そういうことをしなくてよい」
 ■おっとり刀‥‥誤「ゆったりしている様子」。正「非常に急ぐ様子」(“お
    っとり”だけと混同)
 ■役不足‥‥誤「侮辱している時に使う」。正「今ある以上の力という意
    で、誉めている」(力不足と混同)
  ‥‥‥‥
  なんだか、いくらでも出てきそうですね。このように、全く逆の意では
   相手の取り方によって問題を起こしかねないようですが、前後の話
   の内容から違和感なくOKで済んでいると思います。
   もともと誤りに気付くことは、会話の中ではマレでしょう。
(2)よく使う漢字の間違い
 高値の花 → 高嶺の花     ご存知 → ご存じ
 一図 → 一途         受け賜りました → 承りました
 今だに → 未だに       にも関わらず → にも拘らず
 逆上って → 遡って      組みしやすい → 与みしやすい
 いさぎ良く → 潔く      上げ句の果てに → 挙句の果てに
 心良く → 快く        恥ずかしめられた → 辱められた
 問い正す → 問い質す     返りみることもなく → 省みることもなく
  ‥‥‥‥
  これも、キリがないようです。間違いとは言い切れない使い方もある
   そうですが、そこまで我々には分かりません。
(3)会話でよく耳にする誤用
 すごいよかった → すごくよかった(“すごい重い”とはならない)
 感動して、鳥肌が立った → “鳥肌が立つ”は寒い、嫌悪感を覚え
   た時であって、“恐ろしさに、鳥肌が立った”と使うのです。
 耳ざわりがよい → “耳ざわり”は聞き苦しいの意味なので、良い
   時は矛盾。(目障りも同様)
 “先週とか” → 先週以外にないのに、「とか」?。パンとか牛乳とか
   と並列に挙げるには問題ないのですが。
 おさがわせ → おさわがせ(騒がせ
   舌づつみ → 舌つづみ(舌鼓
  ………
  ここまで広まると、会話として成り立つものもあり、決して使ってダメ
   と云えないものもあると著者は云っています。
(4)TVで見聞きする変な言葉
  バラエティ番組が多くなり、その司会進行を芸人が担当しています。
   女子アナは番組の花として、助手扱いです。
  こうなると、以下の言葉は当り前のようになり、日本語の乱れは今風
   になってくるのは必然です。
   会社をはじめ社会が若者に気づかっている面や、どう応対してよい
   のかに悩んでいるのでしょうか。
  せめてアナウンサーと思っても、もう遅いのです。平気で誤用したり、
   若者言葉を自然に使っています。そのほうが直線的なキツイことば
   でなく、柔らかな表現と思っているのでしょうか。
 ■“きもい”など → 妙な省略言葉。友人同士のコミュニケーションと
    しては分かりますが、得意先の商談などでは何か間違っているよ
    うな気がします。
 ■“あたし的には” → これもしょっちゅう聞きます。“的とは”何なの
    だろうと著者は不思議がっています。(強く云えない時に、私も使っ
    ていますが。誤用も含めあるものです。)
 ■“てゆ〜か” → 否定の意味ですが、自分の意見を述べているだけ
    が多く、口ぐせになっている人もいるようです。
 ■TVのテロップ → 出演者が“見られる”と正しく云っているのに、“見
    れる”の「ら」抜きにしたのを見て、報道機関の見識を疑ったと云っ
    ています。
 ■アナウンサー → 「大舞台」を“だいぶたい”。「押しも押されもせぬ」
    を「押しも押されぬ」。
    “〜のほう”をとくにつけて話をする必要はないが、会話として通用
    しています。文章では違和感がありますが。
 我々が文章、会話の間違いを正せと云われたらお手上げなのですが、
  さすがに作家=プロはこれをショートショートにする位に日本語をキ
  チンと使おうとしているのです。だから、本を読めとも云っています。
 フランス語は言葉の使い方など厳しく制約していることで有名であり、
  ハンガリー語はその反対のため難しい言語になっているとの話を聞
  いたことがあります。日本語はその中間なのでしょうか。
 あんまりTVの芸人が使う言葉に従順することはなく、少しは誤りを
  知っての会話も必要かと思います。
  若者言葉もどんどん発生していますが、そのうちに消え去るのが大
  半ですから、あんまり目くじらをたてる必要がないのかもしれません。
 著者はこれらをニホン語であって、日本語ではないと揶揄しています。
 先般、「文語」(口語に対する)の大切さを主張する人の講演に出向き
  ました。
 口語は文語の崩れた形なので、日本語を磨いていくためには文語
  に光を当てて継承する努力が必要であるとのことでした。
  美しい、音楽性を持つ言葉は文語の魅力であり、文語を核として有す
  る限り、一流の文章語を持つと云えると。
 とてもそこまで戻ることはできないが、死語にしないことの重要性は分
  かりました。