・ 幕末維新期、西郷隆盛の活躍はいろんな小説やドラマ等でよく見聞して
おり、その優れた資質と活躍は大方の納得のいくものです。
・ 西郷は佐久間象山、勝海舟、福沢諭吉らに心酔して、欧米文明を吸収
しながらそこには恵まれた背景があるとはいえ、封建制度打破に尽力し
ました。
・ 「西郷隆盛と明治維新」を出版された先生の講演がありました。少々興
味があり、こんな捉え方もあるのかと思い、ひろってみました。
・ ペリーの来航以来、海防はあまりにも貧弱で攘夷の断行がムリなのは明
らかでした。そこで、開国が攘夷かの決断は見送りにして、どちらもにで
も対応できるよう幕政改革がはじまりました。
・ 薩摩においても英国艦隊の砲撃を受け、丸くない砲弾技術に驚愕したと
云われています。
・ 幕末政治の多くの重大局面に直面する度、政治構想を大きく飛躍させて
いった指導者の1人が西郷なのです。この大変革期を生き抜いたのは
長州藩にはほとんどおらず、薩摩藩でも数名です。
・ この維新前後の西郷の10数年間を追うだけでも、今日本に求められてい
る政治家等の資質がどのようなものかを考える参考になると云っています。
1.背 景
◆薩摩藩主島津斉彬の使い番
・ 藩主が他藩主や幕府官僚との交流が豊かでした。下級武士の西郷が
その江戸の地で使い番をして、取り立てられていました。
◆幕政改革期
・ 世論が挙国一致、協力体制に向っている時であり、斉彬の名代として
多くの藩との交流を得る機会をもちえたこと。
◆家臣団の平等性
・ 格式の多い武士階級にあって薩摩藩は12階級と少なく、上位3階級は
別格であるが、それ以下の藩士はほぼ平等であったことがプラスした。
(言葉、応対、付き合い等から仲間意識強く、約束を守る。)
2.資 質
◆識見
・ 次の藩主久光の幕政改革単独行動に苦言を呈し、流刑となります。取
り立てられるようになった誠忠組(西郷は盟主的存在だが)にも、勤王
を実現する具体的道筋や基本構想が描けていないと批判し、一大事な
す時の勉強不足を指摘しています。
・ 藩軍指揮官として復帰しての交流から、勝海舟の器量の大きさ、実践
にも優れた人物であると評価しています。また、佐久間象山の西洋文
明思想を尊敬していました。そして、福沢諭吉の海防策に目の覚める
思いがしたとあります。
・ 西郷は諸藩重臣との交流や諸国の事情、物事をよく知る中で、英雄肌
合いの人物を評価基準の1つにしたのではないかと云っています。
◆義理堅さ
・ 動乱の時代では、義理堅さがなければ信用されません。それが西郷の
人望につながったのでしょう。
・ そして、廃藩置県という封建制度をなくす大改革を尊王倒幕の帰結と
して、自覚していたと云っています。そこに到達するまでの基盤は、人並
み外れた粘着力にあるとも云っています。
◆構想力
・ 西郷は公武合体と有力大名、有力家臣団の二重合従連衡を一貫して
主張していました。しかし、それでは家臣団と実際に行政を担う政府の
力が発揮できないと考え、まさに武力倒幕に踏み切ったのです。
・ 常に現状を把握し、本来の変革のためへの構想を断行していったと思
われます。
おわりに
・ 世の中の動きが激しく、グローバルな考え方、行動が益々必要と云われ
ている現在、英雄肌のある人物、リーダーを待望する空気はあるように
思います。
・ しかし、その人を育ててきた経験の積重ね、背景を十分知った上で評価
しないと、その時々の空気に流されてしまうだけです。
・ いろんな仕組み、考えの高度化は物事の細分化を促し、分断化されて
いきます。人々が立場の違いを超えて「志」の結合はなかなか難しいも
のですね。